焦燥感に駆られる
ハリボテです。
焦り。苛立ち。
ずっと焦ってきた、16の頃から明確に抱き始めた焦燥感。
実際心には抱いてるのに俺は大丈夫だから、みたいな雰囲気醸し出したくて人にはいつも余裕ぶちかまして「焦るなよ。」とか言ってた。
でも本当は人が焦ってる姿見ると鬱陶しくて、余計不安になって、
他人の言動がそっくりそのまま自分が吐き出しているような気になってしまってとにかくやめてくれよって気持ちになってた。
自分は現実に直面しないように、自分で吐き出す言葉が自分に突き刺さらないようにしてきてるんだからって。
「焦るなよ。」って自分に言い聞かせるように人に言ってた。
心の底では焦りまくってるのにそれを見ないように聞こえないように奥のほうに押し込めた。
常に焦ってるからずっと心がカツカツで生産的なことが何もできなかった。
時間をムダにして、自堕落な日々を過ごして。
前に進むために何かしなきゃいけないのはわかっているのに、確かにしなきゃいけないことなのに心に余裕がなく怠惰な日々を過ごす。
それまではよかったかもしれない、でも今になって周りの新天地への意気込みを聞いたり、見たりすると本当に焦らなきゃいけないところまできてしまったんだな。
焦ってても何もイイことないなと、ただいたずらに心の健康が奪われていくだけだと、思うようになっていた。
けど開き直って焦るのはいいんだと、焦燥感に駆られている本人は至って焦っていいんだと、そう思い直すことにした。
焦っててもいいからしなきゃいけないことはしっかり見据えて前に進むことが大事なんだと思うようになった。
焦燥感をどっかにやるんじゃなくて上手く付き合ってモチベーションと混同してしまえばいいんだと。
焦るだけで今気づけてる俺は大丈夫ってその場に胡坐かいて留まっていたのが間違いだった。
自己評価をするとしたら、確かに一時は周りの誰よりも先をいっていたかもしれない、周りより豊富な経験を親にさせてもらっていた、けれどみんなすぐに追いついてきた。追い越していった。
恵まれた環境にいてもそれでも芽生えてくる焦燥感には目をつぶって心の平穏を保つために立ち向かわずに俯いてしまっていたんだな。
焦りながら今までしてきたことは前に進むための行動ではなく座して死を待つのを選んでいたんだな。
蕾が花開くために必要なのは焦らせるのではなく正しく適量の栄養をやることなんだ。
それは自分の中に知識を蓄えることだったり、それを発信することだったり、時には自分を労わってやったり、そういうことが大事なんだと。
焦りという感情に支配されてしまってそれと折り合いをつけることはしていなかったんだな。
怠けて呆けてただ無意味に過ごしてきた日々を脱して自分が思う正しいやり方で前進して休養を取って、赤子の一歩と同等かそれ以下でもいいから進ことが大事なんだ。
前に進む。同じ轍を踏まないように思うだけじゃなく本当に行動することが大事MANブラザーズバンド。
そんじゃまたね。